・西郷隆盛の本名は「隆永」という。
戸籍制度ができたときに本人に連絡が付かず、友人の吉井友実が隆永の父の名「隆盛」と届け、その後も訂正しなかった。
・西郷隆盛は舟から入水自殺をしたことがある。
その時 心中した友人の月照は亡くなっている。尊敬していた島津斉彬が病死して世を儚んだためとされる。
・西郷隆盛は二度流刑になっている。
一回目は伊大老安政の大獄が始まり司直の手から西郷を守るために薩摩藩が奄美大島に流した。二度目は折り合いの悪かった島津久光に自分の命令に背いたと徳之島に送られ、そこで2カ月滞在させられ、さらに南の沖永良部島に流島された。
・西郷隆盛は3度結婚をしている。
1度目は28歳のとき須賀と結婚した。2度目は33歳のとき奄美大島の愛加那と結婚。3度目の妻は糸子といい39歳のときに結婚。
・西南戦争で西郷隆盛の首のない遺体を確認したのは陰嚢(タマキン)。
西郷隆盛はフィラリアという寄生虫に感染したとされ、この感染の後遺症である象皮症を患っていた。これによって陰嚢が人の頭大に腫れ上っていた。
・西南戦争で西郷隆盛の死後も生存の噂を信じロシア皇太子に切りかかった役人がいた。
西南戦争後も西郷は中国大陸に逃れて生存しているという風聞が広まっていた。1891年にロシア皇太子時代のニコライ2世が来日し、鹿児島へも立ち寄ると、西郷が皇太子と共に帰国するという噂がながれた。西南戦争に下士官として従軍し、大津事件を起こした津田三蔵は西郷が復権すると与えられた勲章を取り上げられると考え、事件を起こした。西郷帰国の噂を真に受け凶行に及んだといわれている。
・西郷隆盛はドイツ人医師ホフマンのアドバイスを受けダイエットしていた。
ホフマンに命にかかわる肥満であると警告を受けため。ひまし油と運動のダイエットをしていた。因みに好物は脂身のついた豚肉、焼酎、甘いものだった。
・上野公園の西郷隆盛像の隣にいる犬はツンといい、本当は雌犬なのに雄犬として作られている。
作者の後藤貞行が雄犬をモデルにしたためだという。(西郷像は高村光雲なので、ツンの雌雄を間違えたのは光雲としている記述もあるが間違い)
・ツンの命名は隆盛が思いを寄せていた「ツネ」という女性から…(という説もある)